仁別自転車道界隈の風景

いつも私が通る道とそれに関連する風景をご紹介します。

⇑ ここは秋田大学の正門横です。何か違和感のある看板です。この歩道は自転車道なのか?
⇑ ここは秋田大学の正門横です。何か違和感のある看板です。この歩道は自転車道なのか?
⇑ 秋田大学正門横にはこの看板もあります。何やら自転車道の経路らしいが街中にも自転車道があるらしい。街中でそのような看板とかサイクリングとかしているような人は見たことが無い。不思議な看板である。大学の守衛さんに聞いても全く分からない様子。あくまでも私の感想ですが!
⇑ 秋田大学正門横にはこの看板もあります。何やら自転車道の経路らしいが街中にも自転車道があるらしい。街中でそのような看板とかサイクリングとかしているような人は見たことが無い。不思議な看板である。大学の守衛さんに聞いても全く分からない様子。あくまでも私の感想ですが!
⇑ ついでにですが秋田大学正門横にはこのような石柱が立っている。
⇑ ついでにですが秋田大学正門横にはこのような石柱が立っている。
⇑ 上の写真の石柱の意味はこの看板に繋がる。小学校で習ったことのある平田篤胤の墓がすぐそばにあるのである。蝶や野鳥の写真を撮りに行くが墓の写真は無いのでアップできず。墓と言っても鳥居が立っており神様なのである。
⇑ 上の写真の石柱の意味はこの看板に繋がる。小学校で習ったことのある平田篤胤の墓がすぐそばにあるのである。墓と言っても鳥居が立っており神様となっている
⇑ 郷土の偉人 平田篤胤についての説明   更に詳しくは こちら
⇑ 郷土の偉人 平田篤胤の墓
⇑ 実際私が通るのはこの手形トンネルです。ゴミが目に入るのでサングラスをかけている事が多い。
⇑ 実際私が通るのはこの手形トンネルです。ゴミが目に入るのでサングラスをかけている事が多い。
⇑ 自転車道から見る秋田温泉方向。実質的に私私の自転車道はここから始まる。
⇑ 自転車道から見る秋田温泉方向。実質的に私の自転車道はここから始まる。
⇑ 手形山を抜け添川の田んぼに出る直前に見る太平山。この付近には下の写真の水門がある。
⇑ 手形山を抜け添川の田んぼに出る直前に見る太平山。この付近には下の写真の水門がある。
⇑ 添川(地名)の水門って言うんですか。水鳥など居るので来ることが多い場所です。流れる川は旭川。
⇑ 添川(地名)の水門って言うんですか。水鳥など居るので来ることが多い場所です。流れる川は旭川。
⇑ 生体奉仕会、通称マリア園。軽トラが行く方向、50m位の高台にある。日本人よりも外国人の信者が目立つ。地元の人は仏教ですから、、、
⇑ 聖体奉仕会、通称マリア園。軽トラが行く方向、30m位の高台にある。日本人よりも外国人の信者が目立つ。地元の人は仏教ですから、、、
⇑ 自転車道はこんなところです。どこからともなく蝶々が飛んできます。野鳥も沢山。
⇑ 自転車道はこんなところです。どこからともなく蝶々が飛んできます。野鳥も沢山。
⇑ 補陀寺 曹洞宗の中本山とか! 開山700年近い、この辺では珍しい。
⇑ 補陀寺 曹洞宗の中本山とか! 開山700年近い、この辺では珍しい。
⇑ 山の中の一軒家、90歳の老夫婦がいる。おじいさんは未だにトラクターで耕している。さすが田んぼは減反したが草が生えるので軽く耕して除草する為である。
⇑ 山の中の一軒家、90歳の老夫婦がいる。おじいさんは未だにトラクターで耕している。田んぼは減反しているが草が生えるので軽く耕しているのである
⇑ そのトラクターで作業中
⇑ そのトラクターで作業中
⇑ 緑の崖 ここが好きで自転車できます。木から葉が落ちると見るも無残に岩が露出します。いつもここまで来て帰ります。
⇑ 緑の崖 ここが好きで自転車できます。木から葉が落ちると見るも無残に岩が露出します。いつもここまで来て帰ります。
⇑ 24歳の時初めて当時の西ドイツへ出張させられました。ライン川沿線を列車で南下、その時みた川向こうの延々と続く緑の崖。懐かしく思いだします。記憶は曖昧ですが良い思い出です。その列車が通る側は後にロマンチック街道として紹介されるようになりました。 ”end”
⇑ 24歳の時初めて当時の西ドイツへ出張させられました。ライン川沿線を列車で南下、その時みた川向こうの延々と続く緑の崖。懐かしく思いだします。記憶は曖昧ですが良い思い出です。その列車が通る側は後にロマンチック街道として紹介されるようになりました。 ”end”